ごはん

最近ごはんを食べるのがきつい。から、食べたものを記録する。これだけ食べられたのだと自信になればいいと思って

 

4/29

おみそしる、ご飯、何か果物

クラスの仲良しと昼飯。カップ麺でチリトマトヌードル

好きな人がお休みしてて、授業にいなくてざんねん。

オムライス

バイト終わりなので腹が減ってた、バイト前におにぎり(明太子)食べた

 

4/30

すまし汁、ご飯少々、いちご

二限が同じ子と食べた、はじめて一緒に食べる子

コンビニの、とろサーモンおにぎりとチキン南蛮ふうサンド。

好きな人に会いたくて(帰省してるぽいから会えないのだ)いろんな男の子を眼で追うけど、あのひとが一番好きな顔だ、と思う

これから

冬のひ

校庭がうるさい。その喧騒に乗じて、教室内のざわめきも大きくなる。ふっと視線を下せば先輩のクラスで、その色の抜けてきた金髪がちらついた。きゃあきゃあ色めき立つ女子たちに、ほんとうのことを言ってやりたい。こいつは昨日、焼却炉でおまえらのチョコレートを焼き捨ててたんだよ。あんたらが頑張って湯煎してこねて溶かして固めて色付けしたそれを、いとも簡単に壊してしまえるんだよ。どろどろしたチョコレートが炉の中で溶ける。爆ぜる火花が彼の横顔を照らしている。明日の朝には跡形もないだろう。せいぜいやんやりと甘ったるい香りがこびりついてるかもな。そう言い放ち笑うのを見ていた。

溶け出したチョコレートは、ひだみたいになってゴミを伝って流れていく。そうやって、涙を流しても、彼は笑いながらばかにするんだろう。じっと火を見つめていた彼の視線が、私のほうを向いた。なに?と聞いたら、軽く口角をあげて、おまえからは何もないの?と言われた。何もないに決まってんじゃん。えーそうなん?期待してたんだけど。嘘いうな。

燃やされるくらいなら、捨てられるくらいなら、初めから捨ててしまったほうがいい。そのほうがコスパがいい。無駄がない。悲しまない。

焼却炉の火がぼわっと浮かんだ。その赤に照らされて、舞う雪も火の粉のようにオレンジに灯った。

分析

驚くなかれ。最近文章が書けない。つか、あらゆる作家に影響を受けすぎて自分の書き方を忘れているんだな。最近読んだのはオスカーワイルドだったり大江健三郎だったり庄司薫だったりするのだが、本当に文章というのはつかみどころのない面白いもんだなと思う。同時に、ただ単に受け身で物語を味わうことができなくなったとも思う。こういう感性的な職業って、どんな時代であれ、現状への不満や未来への希望を孕んでいる。つまり、文化そのものなのだ。ドリアングレイで描いかれた人間の内面の恐ろしさ、黒人兵隊に怯えつつも興味を抱く日本人、閉塞された空間、なくなった東大受験と学生運動。そういうのはすべて時代を反映させていて、言うなればその時代じゃなきゃ書けなかったものたちだ。そしてその時代に、素晴らしい書き手によって産み落とされ、評価され、今まで息吹き続けている。それって改めて考えるとすごいことだ。

私だって小学、中学、高校と書いてきて、文章は変わり続けている。それは上手くなったから、でもあるだろうが、一番の原因は時代の変化なんじゃないだろうか。私の周りを回る環境、文化、世界の変化が、びしびしと感性に影響を与えていく。だって書くってことは何か伝えたいってわけじゃん。私の伝えたいことってなんだろうと思った時に、自分の心の中で考えてること、つまり外界に対する内界がそれなんじゃないかと思った。ならば、心のうちにある言葉たちは、周りを取り囲む世界がなければ生まれてこない。結局、私の文章は今の時代に順応していくわけだ。

たくさん、文章を書ける人がいる中で、どうしてふるい落とされ、ごく僅かな人が残って小説家や作家になったか考えてみる。それはきっと、その人の文章がうまかったからとか面白かったからだけじゃない。その人とその時代が合致していたのだ。その文化の中で声を上げるべき人だったのだ。そう思うと、なんかなあと思う。生まれてくる時代は選べない。環境も何もかも、人間は平等なんかで始まらない。そうなんだよな、だから小林は作家になることを諦めたんだよな。(庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』の小林が結構好き)

綺麗事

つらい。苦しい。他のことをしたい。こんなに日常を圧迫されたくない。バイトを辞めたい。

今日そう思って話し合いを設けてもらった。上司の前に座り、その瞳を見た。絶対に言うぞと周りの友達にほざいて、辞めてくると親にまで言ったのに、その瞬間、無理だと思った。私がいなくなる未来のことを思った。人材が足りてない現状をどうやって乗り越えていくのか。そんなの、なってみなきゃわからないし、私がいなくなってからどうにかするのだろうが、その未来を思うと苦しくなった。前に座る上司の持つ日常。誰かの人生を変えてしまうということ。ここまで手塩にかけて育ててくれたのに、良い講師にしようとしてくれたのに、その期待を裏切るのか。そんなのたかがバイトだろと友達は笑うかもしれない。人生だなんて重く捉えすぎなんだよ、と。でも、違うの。誰も苦しめたくないし、傷つけたくもない。いや、そんな優しいこと思ってない。私はただ、傷つきたくないだけなのだ。辞めると言った時に目の前の人が見せるだろう表情が、怖い。その幻滅を浴びるのが、たまらなく怖い。私はただ、自分自身を守っているだけだ。防御線を張って、いつかの絶望が繰り返されないことを祈ってる。保身ばかり気にしている、弱いやつだ。

耐えるな

仕事をしていて、しばらく経つ。仕事においてよくない兆候のひとつに「しょうがない(しかたない)」という言葉を使い始めることがあると思う。私の担当する管轄に関わっているからしょうがない、誰もやらないから仕方ない、遅くなってもしょうがない、徹夜しても仕方ない。

そうやって、ちゃんと見えなくなっていく。気付いたらへなへなに精神が萎びきっていて、いやでもしょうがないんだ、やらなきゃいけないんだと乾いた手を伸ばしてしまう。永遠に続くような堂々巡り。終わるときには自分の身体も終わっている。耐え続けることはすばらしいが逃げることも正しいのだ。ちゃんとそれを知っていて。喉に流し込んだエナジードリンクがひりひりと痛んで、思わず泣いてしまうようになるくらいなら、今「しょうがない」を捨てて。

まどろみ

湖に行く。湖がどこにあるかは知らないが、私は免許もないのに車を走らせる。思うままにハンドルを切り、アクセルを踏み、走り続ける。徐々に、走る道が、舗装された道路からでこぼこした石だらけのものへと変わっていく。気づけば幾本もの木々が周囲を囲んでいる。木々のあいだにちらっちらっと光るものがあって、目を細めて凝らして見れば、光は断続的に瞬いていた。ちょうど、私がハンドルを切る瞬間と、そのタイミングは重なっている。不思議に思いながら次のカーブを曲がると、目の前に大きな海が広がった。

ただ、それは海ではない。大きな大きな湖であるのだった。私はほーっと息をつきながら、その大きさに圧倒されている。あまりにも驚いたのでその他の動作が疎かになり、次のカーブでハンドルを切り忘れた。がちゃんと音を立て、車はガードレールに衝突する。その勢いで車体はぐらついて、鍵をかけ忘れていた座席のドアがぱっかり開く。私はされるがままに、空中に放り出される。うわっと情けない声を出して、宙に浮き、そのまま重力に引っ張られて地球におっこちていく。

空はびっくりするほど青く、すぐ近くにあった。よく晴れていた。太陽がぎらぎらと湖面を煌めかせている。私はそれを死にかけながらぼんやりと見ている。湖に来た。そう思う。

…と、いうのが今日見た夢です。なんだか最近あまり深い眠りというのが出来なくて、毎日のように夢を見ている。タイマーでセットした扇風機が切れる機械音さえ、寝ながら拾っているのだから相当浅い眠りなのだろうと思う。夢はこれだけじゃなくて、好きだった人と学校に通っていたりだとか、死んだ憧れの人に会えていたりだとか、いろんなものを見ている。そのたびに一つの冒険をしてきたような気分で目覚める。だから疲れが全くとれていない。まあ、楽しいからいいのだけれど。

明日のことを考える。明日はもう金曜日なので、少し贅沢してもいいような気がするな。お昼は好きなパン屋さんにいこうかな。今日の夜は友達が栃木のお土産にくれたチョコレートケーキをひときれ食べよう。久しぶりに夜更かしをしよう。

もうすぐ

秋がきたね、と友達が食堂のカレーを頬張っていった。そうだねえ!秋服買った?コスメも秋仕様にしないとな!周りの友達たちはくちぐちに言い、私はそれを聴きながらカレーを一口食べる。スパイスの効いた香、じんわりと後から追いかけてくるは舌への痺れだ。

秋が好きだ。なぜなら冬の序章だから。私は冬がこのうえなく、好き。冬のあらゆる側面が好きなのである。朝起きて結露が浮き出ている窓を開ける瞬間。張り詰めた空気が胸を刺し、痛みさえ感じる。起きたくないとしがみついた布団のあたたかさ。まなじりを閉じて、ゆっくりと息を吸う。暖房の切れた部屋でひとり、ぬるい冷たさを吸い込むとき。学校に行く道すがら、ぐるっと結んだマフラー。水道の水で顔を洗うとき。雨がつめたく、身体を芯から冷やしていく。そういう、一瞬一瞬が寒さでひりつく。痛みを感じるということは生きているということで、吸い込んだ空気は私の身体を内側から純朴な色に変える。純朴な白。まじりけのない冷たさ。

冬が来るのが楽しみで、最近は自宅の廊下で本を読んだり勉強したりラジオを聴いたりしている。廊下というのは変なところで、私は昔から大好きだ。部屋でもなんでもない、あいまいな、それでいて確固たる場所。そんな廊下を踏みしめて歩けば、足の裏がひやっとした。さすが、早くも冬の輪郭をにおわせて、秋が終わるのを待っている。