ひかる

帰り道、小田急の窓から見える住宅街に、夕陽が飴色のひかりを投げかけていた。きれいだな、と思い、そのきれいという感情にハッとしてしまった。

最近、つらくて苦しくて泣き出しそうな日々を耐えぬいて来た。そういう時、私は自分の内にこもり、感情を押し殺すことに終始する。が、そうすればするほど苦しみは増幅し、私の身体の内側を嫌な音を立てて引っ掻く。宇佐美りんさんが「くるまの娘」という作品で「鬱とは水風船を引きずっているような状態」と表現していたが、その通りだ。いつ破裂するかわからない、ギリギリのラインで耐え抜いている今日。とっくに限界なのかもしれないし、終わりなんてなくて無限に苦しみが続くだけなのかもしれない。そしてどちらにしたって、絶望しか残らない。

苦しみは盲目を従える。つらいとき、私は周りにいる誰の声も聞く気にならない。そこに誰かいて、その造形を視線でなぞるだけで吐きそうになる。どうして生きてるんだ。そう、誰も彼もに問いただしたくなる。どうして生きてるのか、どうして生き続けなくてはならないのか。

きれいだと思うのは、いつぶりだったか、思い出せなかった。ただ、純粋にきれいだと、心が動いたから思った。そのときだけは、苦しみがやわらいで、息がしやすくなったように思う。私に纏う、くろぐろとした霧が、ぼんやり薄れ、行く先がほんの少し見えたように思う。

日々は連綿と続き、永遠のように長い。歯を食いしばり、涙を堪える瞬間が積み重なって、私は今日もここに立っている。きっと、これからもそうで、きっと、ときどき救いのことを考えたりして、眠る。